卒業生の皆様、今年も誌上でお目にかかる時期になりました。
昨年の同窓会は、シスターマーギュリット・レッドウェルの追悼を兼ねた同窓会でしたので、遠方からの先生方をはじめ、多くの同窓生が集まられ、盛大な会になり大変嬉しく思っております。
厳しい中にも人間味の溢れたシスターの姿を思い出し、それこそ「豊かな心」になった一時でした。シスターも神様の御許から、一人一人を懐かしく思いながら、見守り、また、心は共にそこにいらした事と思います。
現在の世界を眺めますと、豊かさとはなにか。飢えに苦しんでいる人々がこの地球上に沢山おり、また、反対に物の溢れた世界で暮らしている人もいる。しかし、物質的なまた、知的な豊かさが人間にとって、真の豊かさなのでしょうか。
真の豊かさは、物ではなく、心の豊かさであり、それは、信仰に根ざすものなのです。私たち人間は、健康で、そこそこの暮らしが出来、人々ともうまくやっていければ、幸せと思います。
ご存知の様に新約聖書にあの有名な「山上の垂訓」があります。その最初が、「心の貧しい人は幸いである。天の国はその人たちのものである」ということばです。これを読むと、一見、心の豊かさではなく、心の貧しさの方が良いように思われますが、この意味は、「自分の心の貧しさを知る人」と言うことで、「人を幸福にするものは、自分の力で手にいれられるこの世の富ではなく、祈りによって神から与えられる恵みだけである。」とフランシスコ会聖書研究所訳聖書の注に記されております。
ノートルダム修道女会の創立者聖ジュリーは、「神にすべての信頼を寄せている信仰のある人は、たとえ嵐のさなかでも大きな平和を見出し、その中に安らぎます」と言っております。
先に記したように、社会の現状は決して物質的に豊かな国々ばかりではありませんし、豊かな国の人々が幸せに感じているわけでもありません。日本では毎年三万人以上の人が自殺をしています。反対に食べるものもない国の子どもたちが、生き生きとした表情を見せています。自分の置かれた場で、満足しているからでしょう。
「上を見れば、きりがなく、下を見てもきりがない」と言います。
「貧しい」とは、不足していることですから、まだ入る余地があります。信仰によって、神様に願い、恵みを注いでいただく謙虚さを持ちたいものです。どんな境遇にあっても、豊かな心を持ち続け、人々に分かち合うことが出来ればどんなに幸せでしょうか。日々の生活において、そのように心がけて見ましょう。自分だけではなく周りの人々も豊かになるようにと。
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