「つながり」を持つ意志
 会長 寺田 朗子

毎年この時期、蝉の声を聞きながら「さあ、何を書こうか」と皆様の事を思い浮かべながら、白髪混じりの頭をひねります。 お元気ですか?

 この暑い夏が来る前に、高校の同級生を相次いで二人亡くしました。
 一人は、宮迫千鶴という人で、広島の大学を出た後東京へ行き、画家、エッセイストとして活躍していた友達です。彼女との「つながり」は、中学校三年の時、私が広島の学校に編入してきた時に始まります。不安な気持ちで登校した初日、彼女が優しく声を掛けてくれました。当時から彼女は文学少女で、愛読書は「車輪の下」「ダミアン」「人間失格」。私の特技はドッジボール。このように何もかもがまったく違っていた二人でしたが、お互いに魅かれあったのです。あの時代、私達はいつも一緒だった事を、彼女のお葬式の間中、改めて思い返していました。そんな大切な友達が「まりちゃんと、一度遊びにおいでよ。」と誘ってくれたのに遠慮して行かなかった事を後悔しています。
 今一人は、母校の司書であり、教務の岩田さんです。岩田さんと私は、社会人としてほぼ同時に母校との「つながり」を持ち始めました。職員と非常勤講師と立場は違っていましたが、私は、教える喜びと彼女とおしゃべりする愉しみで、学校に行っていました。彼女はよく本を読み、しっかりと自分を持ち、人に対しては慈しみの心を持っていました。皆様の中には、しかられた人もいるかもしれません。でも、今はおわかりでしょう。彼女の愛の鞭が。母校が閉学してからは、カルチャー講座の参加者があまりにも少ないとき、「助けて!」とか、たまに長電話して私の愚痴を聞いてもらったりしました。「さあ、これからは私が恩返しをする!」と思っていた矢先、彼女は突然逝ってしまいました。

 人の命は短くて、時は待っていてはくれません。せっかくの「つながり」をそのままにしてはいけません。MGユースホステルの森岡ママの言葉に「五つの豆を食べよう。出豆、足豆、世話豆、電話豆、筆豆」というのがあります。そう、「つながり」には、やっぱりあなたの意思が必要なのです。

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