古きよきもの
24期 有田 晴子


 私は、41歳まで、東京と広島市、いわゆる都会に住んでおりました。その後、中国山地ど真ん中にある、岡山県新見市千屋花見に主人との結婚が切っ掛けで移住しました。
 主人は元々大阪で旅行会社に勤務していましたが、バブル真っ盛りなりし頃、日本全国同じ様な大型リゾートホテルばかりの観光に飽き飽きして退職し、日本の田舎を純粋に味わうこじんまりした民宿を始めようと、新見に単身飛び込みました。私も旅行会社に20年間勤務した後、2005年の結婚を機に、民宿のお手伝いを始めました。民宿名は、「古民家民宿 千屋アウトドアハウス」と言います。
 彼とは違い、私は、新しいもの・都会的なものが、昔も今も好きです。田舎暮らしに憧れていたから、移住や結婚を決めた訳では有りません。旅行会社と関係ある「民宿業」に惹かれたに過ぎませんでした。ですが私は今、田舎の生活を大満喫させて頂いております。ずーっとここで生涯暮らそうと思っています。田舎での暮らしは、車の運転とインターネットさえ有れば、全く不便がありません。
 それでも、田舎では「時間が掛かる、面倒くさい」と思える事がまだ息づいています。未だに薪で風呂を焚く家庭があったり、車の運転が出来ない人は、週数回の移動販売車だけに日用品食品の購入を頼ったり、弔事の際は近所が助け合って行います。「早く簡単」に慣れてしまった私には、大変そうに見えます。でもそれが故、万が一ガスや電気が通らなくても風呂に入れるし、無駄遣いしない買物になり、葬式のお陰(?)でご近所さん達との仲が深められる。良い点も沢山あるのです。これは一例ですが、戦前までは都市部でもこれくらいの不便は当たり前の話しだった事でしょう。
 都市部の人が「進化する文明の利器」を作ってくれるからこそ、田舎の人も快適に暮らせていると感謝する気持ちは忘れたく有りません。ただ、同時に今後も更に増えて行く『新しい』便利な物は、「選択」して利用していきたいと思います。そして、田舎に多く残る『古い』ものの良さを再発見し、生活・仕事の中で継承し、都会から来た人に知ってもらう、それが都会から田舎に移り住んだ、私の使命の一つと思っております。
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