心のよりどころ
会長 寺田 朗子

 毎週日曜日にお目にかかるイエズス会の清水神父様の著書「風にふかれて」の中に「あなたの担架を担ぐ人は」という目次がある。それは、あなたが困っている時にこの担架の四隅を持ってくれると確信できる人がいますか、という問いである。
 「心のよりどころ」という題を見て、「よりどころ」とはどういう意味なのか考えた。「より」は、「寄り」「依り」又、「頼り」だと思っていた。しかし、「拠り」であった。即ち、心が頼っていくものではなく、心の中にある本(もと)であると解釈した。
 今の私を生かしてくれている心の本(もと)はなんだろう・・・?それは、こんな私でも私のことを大切に想ってくれる、想ってくれた人がいるという確信だという事に気づいた。これがあるから私は今生きている、これからも生きていけるのだと。
 コンコンチキチ、コンチキチ。京都の祇園祭のお囃子を聴きながら、母が陣痛に耐えた次の朝、私はこの世に生を受けた。父も男子禁制の産婦人科の部屋で母と一緒に私の誕生を喜んでくれたらしい。4歳になった時弟が生まれ、その弟が産院から我が家に帰ってきたときの嬉しい瞬間を今でも鮮明に覚えている。家族四人、色々な時代に色々な事があったが、家族それぞれの想いを懐かしくも、有り難くも思う。
 人との繋がりは、学校生活と共に広がる。中には、家族よりもその絆が太い師や友もいる。シスターアンナは、今年百歳を迎えられた。今でもちゃんとお一人で歩かれ、英字新聞を毎日読んで、たまにお会いすると、ちゃんとお説教も下さる。今でも、あの当時の「学長」と「学生」の関係だ。私達の短大はとっても小さな大学だったので、教職員の皆様が私達一人一人のことを大切に思い、よく指導して下さった。
 そんな暖かい巣を飛び去って社会に出、又、色々な出会いがあった。お仕事も私なりに頑張り、結婚をして子供たちにも恵まれた。末娘には障害があり、最初は自分を不運と思ったが、今は、その子を「天の恵み」と感謝している。余談ではあるが、その娘に私は「心配障害者」と呼ばれる。いつも「大丈夫?」と心配ばかりしているらしい。
 この娘を始め、みんな私のために「担架」を担いでくれるだろうか。イエス!だから私も心を尽くしてみんなを大切に想おう。

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