雜賀学長を偲んで
   闖入者の思い出
藤本 黎時
 私は非常勤講師として一九六七年から週に一回出講していました。Sr.雜賀美枝先生は、休憩時間に度々講師控え室に姿をお見せになり、恩師の小川二郎先生を交えてお茶をいただきながら楽しく雑談をしたことを覚えています。先生は、落ち着いた控え目なお話しぶりで、新聞記事になった時の動きや教育問題などが主な話題だったと思います。お話しぶりから、先生は大学経営のような行政的な面でも有能な方だという印象を受けました。
 私が広島大学を定年退職して広島市立大に移った頃、雜賀先生は二度目の学長職に就いて、時代のニーズに合わなくなった清心女子短大を整理し、閉学するという重いお役目を負っておられました。当時、私は学長になって清心へ出講することはできなくなりましたが、県内の大学連携組織、「教育ネットワーク中国」の会議でお会いすることができました。会議が終わると私の車に乗っていただいて楽しくお話をしながら修道院の近くまでお送りしました。
 昨年、同窓会から依頼されたカルチャー講座で久しぶりに懐かしい清心女子短大のキャンパスを再訪する機会がありました。講義の途中の休憩で外に出て戻るとき、部屋を間違えて、聖書の会で講義中の雜賀先生のお部屋に闖入してしまいました。先生はびっくりしたお顔で講義をやめられ、聴講生たちは怪訝な表情でいっせいに私の方に顔を向けました。私は呆然と立ちすくみましたが、とっさに機転を利かして堂々と「お邪魔しています」とご挨拶しました。それが雜賀先生にお会いした最後の思い出です。その時、お元気そうに見えた先生が半年後の八月十日に天に召されることは想像もできませんでした。
 心からご冥福をお祈りいたします。
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