「繋がろう!広げよう!清心スピリット」
   
伊藤詔子
 清心ではアメリカ文学の演習とアメリカ文学史を担当していました。前者のクラスでは、今でも卒業生が「面白かった」といってくださるポーの作品や、19世紀のアメリカンルネサンスと呼ばれる時代の、ホーソーン、メルヴィル、ソローなども勉強していました。今の時代では大学院級のテキスト講読でしたが、皆さんがよく予習をしてくるので教えがいがありました。中でもソローの『ウォールデン』は世間でも評判の名著で、それを読んだことを覚えておられる卒業生もいらっしゃることでしょう。
 2011年5月5日、朝日新聞「天声人語」は、福島第1原発事故による放射能汚染の苦境と事故の遠因に関し、適切にも悲劇の飯舘村についての本、柳生博『までいの力』(これは3.11以前にかかれた本で、までいというのは、方言で手間ひま惜しまず、つつましく、要するにスローライフという意味らしいのですが)に関連して「『までい』の教祖のような、19世紀米国のソローの物質文明を問うた名著『森の生活』」(最後の文章の、まぶしくて人の目を見えなくする光は暗闇なのだ)を引用していました。また別の日には井伏鱒二の『黒い雨』(映画で主演し、亡くなられた田中好子さんの法要に関連してですが)を引用し、人間の技術が自然を裏切り、いかに放射性降下物を<恵みの>黒い雨として降らせ、口にした人々を死に追いやったかを指摘していました。今エコクリティシズム(環境文学批評)の立場でこうした東西の文学を研究していますが、こうした作品を読んでいた卒業生と、いまも繋がっていると感じていますし、清心で読んだ名著は多くの人々に広がっていると思います。
 ところで事故当初より、フクシマとヒロシマが66年を超えて同じ歴史の轍で繰り返されたことが多くの人に想起され、指摘されてきました。日本の戦後の復興を早めるエネルギー政策として導入された原発推進に対し、ソローならどのようにいうかと考えると、同じように独立戦争後改革の急がれた19世紀前葉のアメリカにあって書かれたソローの書評「楽園回復」("Paradise (To Be) Regained," 1843)が、3.11後の今、時代と場所を超えてなお心に響くことは驚きです。この書評は同時代に書かれた技術的改革の書、ドイツ系移民でユートピアニスト、エツラー (J.A. Etzler)の『みんなのための楽園』(1842)に対する書評です。エツラーの書は、機械によって額に汗することなく地上楽園のような生活が手に入るということを説いたフーリエ主義的ユートピア改革論でした。この書は1840年代最先端の科学技術の予言をしたともされています。これに対しソローは、他のユートピア実験や本に対すると同様に、徹底的にその物質的改革主義と集団主義を批判し、改革の要は社会のシステム改善よりも人間の物的欲望を制御して、精神性を高めることにあるとします。改革は外部からのエネルギーではなく内的力、愛であるとし「愛は風、潮流、波であり、日光です。その力は測りがたく無限で」あり、「愛は楽園を創れるが、愛を欠いた楽園を必要としない」としています。清心スピリットが時代の問題と取り組む輪を広げ、また同窓会で確認し鍛えなおす清心スピリットは、永遠に不滅であると信じています。
(本稿は『ソローとアメリカ精神』(金星堂,2012)で書いたことと一部重なります)
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